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社会人1年生 (株)永殖へ就職

2月になり、ようやく卒業できるめどがついた私でした。しかし就職の事は、全く考えておらず前の年から始めた引っ越し業「あけぼの運送」の仕事が大忙しで、自分で受付をし、他人の引っ越し荷物を次から次へ運ぶ毎日でした。その頃、月に2〜3日アパートの大家さんであるAさんの所へ仕事の手伝いにも行ってました。

Aさんの工場は自宅の一角にありました。工場といっても10坪程の土間に、大きな釜が2つあり、一つですったリンゴを煮て、カラメルや唐辛子等をまぜ、もう一つの釜でビンを蒸汽消毒し、できたソースを手作業でビンに詰めるというものでした。

Aさんはは淡々とソース造りをしており、蒸し暑い風通しの悪い土間でKさんと二人で汗びっしょりになりながらやる作業は私にとって苦しいながらも楽しい仕事でした。その日に作ったソースの一升瓶に王冠をし、ラベルを貼って10本一箱の木箱に詰めた後、ごちそうになる、自家製のそばだれで食べるそばのうまさは格別でした。

そんなAさんから、「就職は決まったのか?良かったらうちで会社を作るから働いてみないか?と誘われたのです、社長はAさん、社員は私一人、仕事は何か考えてやって行こうというものでした。私は他に計画もなかったので「お世話になります」と言う事で就職が決まったのです。

就職は決まっても、やる仕事がないのはつらいものでした。Aさんの所へお客様が来るとほっとしたものです、お茶を入れる仕事があるからです。たまにソースの配達もありました。夕方5時になるとAさんの息子さんが私を誘いに来ます。2人で行くコースは決まっていました。

まず、2時間位パチンコをし、次にサウナへ行ってマッサージをし、そしてクラブを2〜3軒回るというコースです。私は全くアルコールがだめなので、いつも運転手です。左ハンドルのヴィックという大きな外車でした。コーラを飲みながらも一緒に楽しくいられたのは、それまでに私の知らなかった世界をみれたからだと思います。こんな調子で社会生活1年目が過ぎました。



社会人2年目 アメリカへ来てみないか

(株)永殖へ就職して1年、私は誰かの下で働くと力がでないのか、2つ程の商品を扱ってみましたがパッとしないで1年が過ぎてしまいました。

高校時代の親友で、アメリカへ留学していた藤田忠平君から手紙がきたのは丁度この頃でした。手紙には、アメリカの素晴らしさと「自分は2年程いたアメリカから数カ月先には日本へ戻ってしまうので、その前に遊びに来てみないか」と書かれていました。

好奇心旺盛な私は、行きたくていてもたってもいられず、社長のAさんにお願いしました。「アメリカへ行きたいので2ヶ月間休ませてもらえませんか?」

私は短期間ではなくゆっくりアメリカを見てきたかったので正直に言ったのですが、「それは長過ぎるからだめだ」との返事でした。

そこで私は、大変お世話になったAさんの所をやめる決心をしました。「すみませんが、辞めさせて下さい。」Aさんは了解してくれました。こうして、その後の生活の事も何も考えないまま、藤田君の待つサンフランシスコに行く事になったのです。

今でこそ外国へ行くのは簡単ですが、銀行の残高証明を取ったり、東京のアメリカ大使館へ行きビザを取ったり、と結構大変だったのを覚えています。大変な思いをしても、アメリカへ行きたいのには、目的がもう一つありました。「ハングライダーをやりたい」という事でした。

 たまたま、目にした雑誌に、サンフランシスコの隣町にハングライダーのス
 クールがあり、そこへ行けば教えてもらえる、と書いてありました。
 
 もっと以前に見つけた雑誌の裏表紙には竹で作ったハングライダーの写真
 があり、それを切り取って大事に持っていました。「いつかチャンスがあった
 らなんとか空を飛んでみたい」という夢があったのです。こうして夢の実現へ
 向けてサンフランシスコへ行く準備は着々と進むのでした。