40,「迷わず進め北極点への道」    光文社女性自身記事より

ついに58日の朝、全国に「大場さん北極点到達」のニュースが流れた。
河野兵市さん(39)に続き、日本人としては二人目の「単独徒歩による北極点到達」だ。

「日本時間で53日の夜915分に、極点まで残りわずか5.249キロに達した時点で、到達と発表しました」と、大場満郎応援事務局代表の村田乾さん。到達の発表が4日後になった理由は、「残り5キロになった時点から、大場さんの位置情報がおよそ8時間半の間取れなくなったんです。やっと取れたその次のデータは座標が東経から西経に変わっていたため、しばらく様子を見る必要があり発表が遅くなりましたが、その後順調に本来の目的である北極海横断に向けて、カナダ側を目指していることが分かり、到達したと判断しました。全行程千キロに較べると5キロはごくわずかな距離ですし、空白の8時間の間に大場さんが極点を通過しているのは間違いありません」大場さんは極点で予定されていた補給要請をせず、そのまま進んでいる

結局、大場さんと河野さんは北極点で会うことは出来なかった。2本の日の丸が極点で同時に翻ることはなかったが、今年の極点はわずかの時間差で偉大な二人の日本人を迎えたことになる。出発地も出発日も、距離も違う二人が、立て続けに極点に立ったということだけで、奇跡だ。

「大場さんの目的はロシアからカナダまで1750キロの道のりを歩いて、北極海を横断することです。大場さんの中では、北極点は通過点にすぎません。すでに大場さんは1120キロを歩いて(日本時間58日)、残りは660キロあまりです。このまま無補給で北緯88度以南に入れば、可能性は出てきますが、正直かなり厳しい闘いです。私は大場さんが行くところまで、出来る限りの支援をしたいと思います」(レゾリュート・志賀忠重さん)

今年の北極は例年より氷の溶けるのが2週間ほど早く、状態はよくない。それなのになぜ大場さんは、なおも進み続けるのか。「大場さんの中には記録を作ってやろうとかいう野心は、全然ないと思います」と、言うのは大場さんを知るジャーナリスト。「出発前に大場さんに河野さんに負けずに頑張ってくださいって励ましたら、『いやあ俺はそんな気ないんです。ただ思うのは、両方とも成功したらいいなあということだけです。勝ち負けとかそういう意気込みはないんです。淡々と地球の大きさを感じながら歩くだけです』と大場さんは答えたんです」

大場さんの生まれ故郷・山形県最上郡には最後の鷹匠と呼ばれる沓沢朝治さんがいた。中学2年のころ、友人と沓沢翁を訪ねた大場さんは、いっぺんに鷹匠の魅力に取りつかれてしまった。「俺たちが家に入ると、クマ鷹が飛びかかって来たんです。ところがじいちゃんが来ると、急に大人しくなって鋭いくちばしでじいちゃんとキスまでする。じいちゃんかっこよかったです。今でも忘れられない」(大場さん談より)

大場さんが憧れたのは、夏は田んぼで米を作り、冬は鷹匠として雪深い山の中で、獲物を追う沓沢翁の生き方そのものだった。出稼ぎで家族がバラバラになることを嫌い、今はブームとなった地鶏養鶏の先駆けとして事業が軌道に乗ると、格安航空券を買って、世界の農家を見て回った。外の世界を知る内に大場さんの夢はどんどん膨らんでいった。

最初の冒険『アマゾン川6000キロ単独筏下り』に成功したのは83年のこと。以来『グリーンランド西海岸1400キロ単独歩行』(85年)、世界初の『北磁極往復900キロ単独歩行』(86年)、『西シベリア・カトウニ川歩行』(89年)と、北極圏にこだわってきた。それは大自然と闘うというより、「マイナス40度なんてどういう世界なんだろうと思って、同じ地球でこんなに違うというのを肌で感じたかったんです」と、どこまでも自然体なのだ。まるでクマ鷹と静かに対話しながら、一人冬山に入って行く沓沢翁のように。

「ロシアのアーチチェスキー岬を出発するときの様子がニュースで放映されていたんですが、大場さんはちょっとハイキングにでも行くように、『寒いですね。じゃあ行ってきます』と拍子抜けするくらい淡々と出て行ったんです。それを見て、ああ大場さんらしいなあと思いました」(前出ジャーナリスト)

かつて鷹匠・沓沢翁は、「色紙に何か言葉を書いて下さい」という大場さんの求めに応じて、色紙の中央に大きく「道」と書いた。そして片隅に「迷わず進め、正直の道」と書き加えたという。あくまで目的は「北極海を自分の肌で感じること」。大場さんの冒険は北極点では終わらないのだ。好評連載『迷わず進め北極点への道』も今週から『まだまだ進む北極点からの道』に変わります。


第一章完 まだまだつづく北極海横断の道・・・