11,ケガをしている大場さんを早く迎えに行きたい

私はこれで北極へ行かなくてよくなったのかとがっかりして気が抜けたようになった、でも断念したとすれば大場さんはけがをしている事が十分考えられるわけだし、失敗した時こそ迎えに行ってあげたいと思った。

すぐに4月11日成田発で予約していたチケットを1週間早くして4月4日に変更し、レゾリュート行きの準備を始めた。翌日情報は一変し大場さんはほきゅうを受け横断を続行しているとの連絡が入った、ピーターさんがうまくやってくれたに違いないと思った。

私がレゾリュートに着いてからわかった事なのだがこの時の補給が成功したのは、レゾリュートにいたピーターさんと河野さんチームのサポーター大西君の協力によるものだった。2人は大場さんからイーパブの発信(救助信号)があったにもかかわらず、補給要請の可能性を感じとってくれピックアップに向かう飛行機に通常飛行機が着陸出来ない時に空中投下する為に積む10日分の食料、燃料にプラスしてそれらを3週間分にしてくれたのだった。

もしもこの時点で少量(10日分)しか補給品を積まずに飛行機が出てしまえば、大場さんのこの冒険は終わっていたのである、なぜなら、この1回の補給費は北極点を越して片道1000km以上となり、1回で600万以上かかったからである、これが北極海横断成功への最初の綱渡りだった。

補給時に大場さんと会ったパイロットの話しでは、「大場さんは凍傷で鼻が片側プラプラしている」との事だった、それと「補給になぜ時間がかかるのか」と怒っていたと伝え聞いた。

これは大変だ大場さん」はすでに、足の指10本全部と左手の指2本を無くしており、又、さらに今回は鼻をなくしてしまったのかと思いぞっとした。私は大場さんの鼻を心配しながらも今回の補給で使ってしまった、食料等の補充を手配し始めた。


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12,飛行機は一路北極へ

4月4日私は補給用の食料その他をたずさえて成田よりバンクーバーへ向かった。バンクーバーでカナダ入国手続きをすませエドモントンで一泊しここで別の飛行機に乗り換えた。エドモントンからはイエローナイフ、ケンブリッジベイを経由して民間航空路最終地レゾリュートベイへ向かった、レゾリュートはカナダ最北の村で北極点迄わずか1650kmである一週間に一便のこの飛行機には、乗客は60人位が飛行機の後部に乗り前半分には野菜やスノーモービル等の大型荷物が積み込まれる。

観光客が利用するのは少なく生活便なのである、エドモントンから北へ向かう飛行機からの景色の変化は北極に近付いている事をひしひしと感じさせるものだった。エドモントンかで見えていた木々の緑色はイエローナイフでは、雪の白色に支配されほんのわずかになり、ケンブリッジべイに着いた時には、白一色の世界だった、海も山もなにもかも真白である。

これより北のレゾリュートはどんな所なのだろう、不安は増すばかりだった、レゾリュートに近付き機内放送があり飛行機が降下し始めた、真白い平原の中に40〜50の家が見え始め、その村のすぐ近くの飛行場に雪煙を上げて着陸した、ずつと見ていた飛行機からの景色では周辺数百km以内に人の住めそうな所はなかった、すごい所に来てしまった。これがレゾリュートに着いた第一印象だった。


序章 完