世界的な芸術家

    


ニューヨークへの電話  H11 .7.12

10日の夜 半蔵の真木さん宅へ寄り「地平線のプロジェクト」の話になり、
蔡さんのことをなつかしく思い出す。
真木さんも俺と同じで蔡さんの才能と人柄について評価している。
俺がもう世界で10本の指に入るようになったでしょうかと言うと、真木さん
は「10本の指に入るでしょう」と言った。

日曜の朝携帯電話の留守録を聞くとJON72の鈴木さんからメッセージ、
「志賀さん、蔡さんがNHK教育テレビに出てました。ベネチヤのビエンナーレで国際賞を取りましたよ」。
昨日の今日なので半信半疑、それに鈴木さんから蔡さんの話題が出ることはほとんどなかったので、不思議だなとの感想を持った。

蔡さんの声が聞きたくなり盛岡へ移動の途中携帯からニューヨークへ電話。
先方は、夜の10時頃。小さな長い呼び出し音が2度程鳴り、「ハロー・・・」と蔡さんの声

俺 「もしもし蔡さん、志賀です。聞こえますか」。
蔡 「志賀さん、わかりますよ、すぐ分かりました」。
俺 「テレビでベネチヤのビエンナーレで、蔡さんが国際賞をとった
   のを見た人から聞いて電話をしたのですが、おめでとうござい
   ます」。
蔡 「みなさんのお陰です。おととしの『いわきの塔』も評価は高か
   ったのですが、年令が若いと言うのでもらえなかったのです。
   今回はそれが変わったので賞をもらえました」。
   蔡さんが自分の作品に自信を持っているのを感じた。
   それと「みんなの力があってできる」というのをいつも口にして
   いるこの気持ちが人をひきつける。


蔡 「いわきでの作品はこちらのいろいろな雑誌や新聞にでていますよ。いわきでの仕事は楽しかっ
   たですね」。
俺 「今度の作品できたものをこわすと聞きましたがなぜですか」。
蔡 「できあがったものにだけの価値ではなくてその作る過程での価値の表現をしたかったので壊す
   ことにしたのです。」
俺 「真木さんといわきでの作品についてもそのような話をしてたのです。今度ぜひ会いたいですね」
蔡 「来年新潟で2度大きい発表をしますのでいわきに何度か行く予定しています。その時会いましょ
   う。私も会いたいです」。

電話の後、新聞の記事とメッセージがFAXで俺の会社へ入った。
『わざわざお電話いただきありがとうございました。本当にうれしく思いました。皆様にもよろしくお伝えください。』おれにとってもうれしいFAXだった。

               
                       新潟の個展へ、お手伝いに行った時の記念写真
                        左から、蔡夫人(呉紅虹・画家)、私、蔡さん


三丈の塔の誕生からいわきの九十九塔へ 2001年4月9、10、11日

21世紀の初頭に蔡さんとまたいっしょに仕事をする機会にめぐまれた。今回は『いわき99塔』という作品だった。この制作は7年前いわきで発表した『地平線プロジェクト』の中の三丈の塔と関係がある。

蔡さんは三丈の塔は、自分の20世紀の代表作であると話してくれた。7年前蔡さんは数カ月間いわきに滞在し、三丈の塔を含めた数多くの作品を発表した。その作品の素材集めから制作の手配等を担当した私にとって、蔡さんの20世紀を代表する作品の誕生を目のあたりにできた事は楽しくもあり光栄な事だった。

1993年10月
翌年2月からの作品制作に必要な廃船をさがすために蔡さんと二人で四ツ倉港へ行った。そこで、船首の部分が切り離された手ごろな木造漁船を見つけることができた。蔡さんの依頼を受け、私は持ち主である造船所へ行き無料で譲ってもらう約束をとりつけた。

翌年の2月になり再びその場所へ行った。行ってみると船体の部分から切り離された船首の部分がどこにもない。近くにいた人に聞くと邪魔になるから燃やしてしまったという話である。それを聞いた蔡さんの落胆ぶりはかわいそうなぐらいであった。

私は蔡さんに「大丈夫ですよ。なくなってしまったのは、もっと良い素材を見つけられるチャンスですよ」と元気づけた。それで今から探しましょうということで、いわきの7つの漁港をすべて回って探した。だが結局暗くなるまで半日かかっても適当な廃船を見つけることはできなかった。

私も蔡さんに良い素材が見つかるチャンスですよと言った手前正直困ったなと思っていた。最後に行った小名浜港には、同級生である友人の佐藤進君が潜水会社をやっていた。彼に蔡さんを紹介してみたくなりお茶を飲みに立ち寄った。


廃船を探しているいきさつを話すと「そんな廃船なら小名浜水産高校の前の砂浜にいくらでもあるという。蔡さんはお茶を飲むのも途中にすぐいってみましょうと元気づいた。

すでに夜の7時頃で外はまっ暗、懐中電灯を手にした3人が砂浜を歩いていくと砂にうずもれた廃船が3艘もあるではないか。蔡さんは、「これですよ、これですよ、ほしかったのは」と興奮していた。 
                  
その言葉を聞き私はよかったと思うと同時にほっとしたのだった。それまで、四ッ倉港にあった、船首が燃やされてしまったことに関して少々責任を感じていたのである。蔡さんといっしょに四ッ倉のアトリエにもどる頃から、雨が降り出し風が吹いてきた。

蔡さんが、私に「志賀さん、波で船が流れてしまいませんか心配です」。という。私は数十年砂に埋もれていた船が流されるとは想像できなかったが、あまりに心配する蔡さんにそれではロープで固定しますかと提案。車で30分再び海岸へ。

すでに波は、荒くなっておりカッパを着て廃船の一部にロープをかけテトラポットにつないだ太さ1cm位のロープをかけてみて実感したのは象を糸でつなぐような気持ちだった。それでも二人は、できることをきちんとやるという意味での満足感でいっぱいだった。

こうして廃船を見つけることができた。その後、十数メートルある廃船を数個に切断、解体、移動。再びいわき市立美術館の中で組み立てられ『龍骨』という作品になったのである。この解体された時の廃船の側板が『三丈の塔』の素材となったのである。

今回『いわき99塔』の制作で蔡さんと再び三日間いっしょに仕事ができた。短い三日間だったが7年前のいっしょにいた数カ月間があざやかに楽しく思い出されたのは蔡さんもいっしょだったにちがいない。