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大場満郎 「北極海単独徒歩横断」 ダイジェスト
光文社 女性自身編集部 提供 1997.06

去る2月23目(以下すぺて日本時間)より、単独徒歩による北極海横断の冒険を続けていた大場満郎さん(44才、東京都新宿区在往)が、6月24日の牛前0時18分にゴールであるカナダのワードハント島(北緯83度6分32秒・西経74度23分20秒)に到着しました。

122日間に及ぷ冒険行は無事成功、棋界初の快挙を達成いたしました。北極点到達までに2度の補給、到達後は2度の計4回の補給を受け、ロシアのコルソモレツ島から極点、極点からワードハント島までを直線距離で1730キロを歩いての成功です。

最後の補給は6月6目、空中よりのドロップオフ(投下)で行われました。以後の道程はリードなどの氷の割れ目や乱氷帯に行く手を阻まれ、難航するものと推測されました。しかし予想外の北風が氷を動かしたため、リードがふさがるという幸運もあり、残り20数キロの地点までは一気のラストスパートでした。ところが春の北極海は雪解けのため、そこから先は膝まで足を取られる最悪のコンディション。さしもの大場さんも無線を通じて「今までで最悪です。雪質が重たくてうまく歩けません」と悲痛な声を上げていました。

まさに成功への最後のステップは文字通り産みの苦しみだったのです。24日深夜、レゾリュート基地の志賀忠重さんの「ワードハント島到着ですか?」の問いかけに、「ラジャー、ラジャー(はい、はい)」と大揚さんの答えが返ってきました。こうして世界の冒険史に新たな1ぺ一ジが刻まれたのです。
122目間に及ぶ大場さんの足跡を、簡単にまとめてみました。


                           ★★★

日本出発2月11日(火) 4年連続4度目の挑戦に出発
「北極海を歩くのは、楽しさ半分苦しさ半分で、今は楽しく歩けれぱいいなと思っています。焦らずに変に頑張らずに、歩けるときに歩く。そんな風に行きたいと思う。どのくらい歩けるかわかりませんが、頑張って行って来ます」(成田にて)

ロシア側出発2月23日(日) コムソモレツ島のアーチチェスキー岬
(北緯81度58分26秒・東経96度39分35秒)を出発。
「零下20度。あまり寒くないです。じゃあ行って来ます。」(ハイキングにでも出かけるように、淡々と長い冒険行に出発)

位置情報がつかめず
出発早々大場さんの位置情報を伝える発信機の電波がキヤッチできないトラプルが。事務局は連絡のヘリコプターを飛ぱす準備をしていたが、3月2日になってデータが取れる。以後この症状にたびたび悩まされることになる。

第1回補給4月4日(金)
4月1日午前O時に補給要請の信号を受信。34時聞後の4月2日午前9時56分にイーパプ発信機の電波を受信。補給と救援のどちらにも対応できる体制に変えてカナダのファーストエアー杜より飛行機を飛ぱす。パイロットに大場さんは「すぺて良好、このまま北極点に向かって冒険を続行します」とメツセージを。
その後回収された日記により、イーパブ発信の理由が判明した。それによると大場さんは過去の経験から、補給機の到着があまりにも遅いと判断。補給要請の電波が届いていないのではないかと心配になったために、イーパブのスイッチを入れたものだ。「体はやせて骨と皮ぱかりになってる様だ、食料制限が厳しかったのか、そのしわよせが体にきている」(日記より)。パイロットの報告に『鼻と唇に凍傷を負っている。鼻は一部が欠けるほどひどい状態だ」とあり、健康状態が気遣われる。

極点まであと19キロに達するも.補給要請を 4月19日(土)
北極点までわずか19キロに迫ったところで、2回目の補給要請の信号が。補給機が到着するまでの5日間に、1日20キロ以上も氷が流され続け、補給が来た時点では北極点から100キロ以上も流されてしまっていた。

第2回補給 4月24日(木)
「食料が尽きて2日間、なにも食ぺていない。お腹がすいて動けない」状態。補給物資は飛行機からドロップオフで渡す。

北極点域に到達 5月3日(土)午後9時15分
極点まであとわずか5.249キロの時点から、再ぴ位置情報がつかめなくなる。8時間半後に大場さんの位置が、ロシア側からカナダ側に移動していることを確認。その後の状況などから事務局では、極点到達は問違いないものと判断。その後回収された日記にも、GPSにより極点到達を確認(5月4日午前7時)していることが判明した。
北極海横断を目指す大場さんはそのまま極点を通過。。途中、河野兵市さんのスキーとソリの跡を発見。そのときの心境を「誰かのソリとスキーの跡を見る。カナダ側から来たようである。まだ新しいトレースであり、ハッキリとついていた。人間のにおいをかぐことができて、とても感動する」と日記に記している。

第3回補給 5月19日(月)
北緯87度5分31秒・西経75度14分9秒、北極点から229.847キロの地点で補給機が接触。12日に補給要請を出して以来、1週間目のこと。最後の4日間、大場さんは水と塩だけの絶食状態にあり、一時は死を覚悟して、日記には遺書さえ残されていた。しかしながら補給時の大場さんはいたって元気。大場さんの親友で、レゾリュートのべースマネージャー・志賀忠重さんは、およそ90日ぶりの再会時の様子をこのように報告していた。
「途中まで大場さんのいる方肉に歩いて『大場さ一ん』と声をかけたら、大場さんはまるで畑仕事をしていて友達に声をかけられたような感じで、『あれ、志賀さん来てくれたんだ』と拍子抜けするくらいあっけない再会でした。なかなか補給機が来ないので、遺書さえ書いていたというのですが、あの明るさと冷静さは信じられません」。心配されていた凍傷もすっかり間題なく、十分な補給(無線機も補給)を受けて再スタートを切った。ところが、極点到達時に自分で撮影した貴重ななフィルムをうっかり渡し忘れるという、大場さんらしい失敗もあった。

第4回補給 6月6良(金)
氷の状態カミ悪くて着陸できないため、ドロップオフによる補給が行われた。

横断成功 6月24日(日)、カナダのワードハント島に到着

                            ★★★


−大場満郎応援事務局 代表村田乾コメント−
「ついに大場さんの4年間にわたる長い冒険が終わりました。
冒険が始まってから様々なトラブルに見舞われ、一時は冒険の中止をサポーター間で話し合しあったこともありました。ところが私たちのうろたえぶりとは関係なく、大場さんは1歩1歩ひたすらに歩き続け、世界初の大偉業を成し遂げてしまいました。大場さんの強靱な肉体と不屈の精神カに、まさに超人の思いを新たにしました。

応援してくださった方々、援助してくださったすべてのみなさまに事務局を代表して御礼を申し上げます。レゾリュートでは河野兵市さんや、ポーラーフリーの方々に貴重なアドパイスをいただけたことに感謝いたします。過去3回挑戦して3回失敗の結果に、この冒険は不可能だという人もいたといいます。それでも大場さんが北極海横断にこだわり統けたのは、一つには地球の大きさを自分の足で感じてみたいという至極素朴な好奇心からだったそうです。

大場さんの冒険日記を読んでいると、『なぜ自分はこんなことをやっているんだろう』という自問自答を繰り返していることに気づきました。長く厳しく、そして孤独な旅は大場さんにとって、自分探しの旅でもあったのだと思います。日本に戻ってきたら大場さんに、探しもの見つかりましたかと訊いてみたいと思います。きっと大場さんのことですから、『南極横断したら見つかるかもしれない』と答えることでしょうね」

−レゾリュート基地マネージャー 志質忠重(大場さんの親友)コメント−
「無線でこちらから『雲はありますか』と問いかけたら、大場さんは『いえ、日本晴れです!』と答えてくれました。大場さんの心もきっと日本晴れなのでしょう。ホッとしている反面、無線状態があまり良くないので会えるまでは気が抜けません。本人は体調良好、と言っているので、健康は問題ないと思いますが」